ファーストガール!~第12章・4~
「代行」
川上官房長官が、総理代行になって、初めての閣議が始まった直後、観音寺外相が、川上官房長官に呼び掛けた。
「わ、私のことですか」
川上官房長官がぎょっとした。
「あんたさん以外に、誰がおるんかいな」
冷静な顔で外相が突っ込む。
「ち、違う。私は、総理です。中村先生が倒れた以上、私が総理なんです」
川上が、胸を張ってみせる。
「あくまで、中村総理がお戻りになるまで、な」
外相の眼が、すっと細くなった。
「権力が大きくなった人間っちゅうもんは、大体、二通りに分かれてな。一つは、中村総理のように、権力に溺れず己を律する人間。もう一つは、権力を更に拡大しようとする人間。代行が、どちらの人間か、僕は分かりませんけど、もし後者であるならば、僕は、あなたを許さない」
観音寺外相の眼光が鋭くなる。
川上の額に、脂汗が滲んだ。
「や、……やですねぇ、観音寺先生」
川上が笑顔を見せた。
「そんなこと、ある訳が、無いじゃないですかあ」
わざとらしく陽気に言う川上を、観音寺外相は、今一度睨んだ。
「その言葉、肝に銘じとくことやな」
そう言って、総理の隣の、自分の席に腰を下ろした観音寺外相に、閣議室に集まった一同は気圧された。
(川上官房長官では、この役目は力不足だ)
(この動揺ぶりと、はしゃぎ振り……まさか、総理を暗殺しようとしたのは、官房長官か?)
各閣僚の中で、川上官房長官への疑惑が深まっていく。
「では、閣議をー、始めます」
総理席に座った官房長官が開会の挨拶を発したが、場に漂う重い空気は変わらなかった。
「まず…中村総理の件ですが、病状は、先程、記者会見で発表した通りです。それについてですが、マスコミの取材を、シャットアウトしてはどうかという意見が出ています。これについて…」
「誰から出てるんですか?」
行革相の田上博之が声を上げた。
「それは……」
途端に、川上が口ごもった。
「由子ちゃんから出てるんだったら、まだ分かる。だけど、あんたの様子じゃ違うみたいだな。いいか、あいつは、嘘を吐かないのが、信条なんだ。それが、真実を隠しちまうなんて、どう考えたって、おかしいじゃねーか。由子ちゃんが言ったので無い限り、俺はマスコミのシャットアウトに反対だな」
田上の発言に、
「そうだっ!」
「田上に賛成っ」
工藤文科相や真島金融相など、“由子のお父さんたち゛から、賛同の声が挙がった。
「え、えーと……」
戸惑う川上に、
「誰に、言わされたんですか?」
稲川特命相が、静かに質問した。
「!」
川上の顔が、真っ青になった。
「……こ、これは、私が、私の一存で……」
口をパクパクさせる代行を、
「どうあっても、言えないみたいですね」
向井大臣が、冷ややかに睨んだ。
「おい、こんな所で集まったってしょうがないや。アイツの見舞いに行くぞ」
田上が立ち上がった。
「そうだね」
「是非」
各閣僚も、それに続いて、席を立つ。
そして、会議室には、奥まった席で、呆然としている川上だけが残された。
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ファーストガール!~第12章・3~
才蔵門病院の手術室前では、俄かに人の動きが激しくなっていた。
何人かの看護師と医師が、ストレッチャーを囲んで、手術室の中に入る。
「もしかして……」
佐々木秘書は立ち上がろうとしたが、すぐに、自分にもたれかかっている人間のことを思い出した。
「由子さん、起きて下さい。……多分、もうすぐ、総理が出てきますよ!」
はるちゃんが頬を叩くと、由子はうっすら目を開けた。
「ん……」
由子がゆるゆると身を起しかけると、
「起きて!」
はるちゃんは、自分の手で、ファーストガールの身を起こした。
その時、再び、手術室の扉が開いた。
先程よりも多い医療スタッフに囲まれ、ストレッチャーに横たわっていたのは、中村総理だった。
「親父!」
一気に眼の覚めた由子は、集団に向かって、由子は突進した。
「親父、あたしだよ、分かる?」
父のそばに滑り込むと、由子は、父の右手を取った。
「ゆ……うこ……?」
酸素マスクに覆われた父の口が、僅かに動く。
「親父!」
由子の顔に、喜色が広がった。
「親父、大丈夫だからな。あたし、ずーっと付いててやる。学校サボってなんだから、ありがたく思えよ」
由子は喋り続けた。
だが、父の反応は薄い。
「やだ……親父、寝てんのかよ……って、まさか……」
由子の頭を、最悪な想像が過ぎろうとした瞬間、
「安心してください。手術の麻酔の影響が、まだ残っているだけです。明日になれば、しっかりすると思います」
横手から、由子に声を掛けたのは、手術着を着た、医者らしき男性だった。
「私は担当の一人の川端と言います。お嬢さんですね?」
「はい、そうです」
由子はしっかりした口調で答えた。
「三十分後ぐらいに、お話しましょう。このまま、お父さんに付いてて下さい」
「分かりました」
由子は頷いた。
父は、エレベーターで上に上がり、個室の中に入った。
個室といっても、中にソファとテーブルがあったり、机があったり、立派な浴室があったり、ほぼホテルの部屋と言っても差し支えなかった。
しかも、次の間には、大きな机と十数個の椅子がしつらえられていて、会議が出来るようになっていた。
こんな豪華な部屋じゃなくてもいいのに、と由子は感じたが、すぐに、これは逃れられないことなのだと考え直した。
少しでも体調がよくなれば、父を中心にして、重要な会議が繰り広げられるのだ。
そのために、必要なことだった。
(でもさ、入院費なんて、国費で落ちるわけないからな……。あーあ、また、金が吹っ飛ぶなあ……)
看護師たちに囲まれ、テキパキと処置を施されている父の身体をみながら、由子は今後の心配をし始めた。
やがて、はるちゃんと一緒に、白衣に着替えた川端医師、そして同じく白衣を着た老人が入って来た。
「じゃあ、あちらで話しましょうか」
川端医師が、会議室を指差して、四人は移動した。
「まず改めまして、私、呼吸器外科の川端と言います」
着席すると、川端が言った。
「中村由子です。この度は、父がお世話になりました」
「佐々木春男です。先生の秘書です」
由子とはるちゃんが、頭を下げる。
「こちらは、院長です」
「院長の二宮です。娘がいつもお世話になっております」
温和そうな老人が頭を下げた。
「娘さん?」
由子が首を傾げると、院長は微笑した。
「この国で一番有名な二宮ですよ。きっと、お正月のテレビでは、貴女にも迷惑を掛けたと思いますが……」
「え? じゃあ、まさか、二宮先生の……お父さん?」
由子は眼を見開いたが、すぐに納得した。
「院長の父に頼んでみる」、と、二宮が、厚労相に言っていたのを思い出したのだ。
「それは……いつもお嬢さまには、お世話になっております」
はるちゃんが慌てて頭を下げた。
「いえいえ。むしろそちらには迷惑をかけているのではないかと思いますよ」
院長が苦笑する。
「とんでもない。賛成すべきは賛成、反対すべきは対案を……あたしは、泰平党は理想的な党だと思います。ただ……」
「貴女に、嫉妬してるんでしょうな」
院長は真面目に答えた。
「え?」
「もしかしたら、愛する人のファーストレディーとして、国家を引っ張ってたかもしれないんだ。嫉妬するのは当然でしょうが、我が娘ながら、お恥ずかしいことです」
「愛する……?」
由子は首を傾げた。
「ええ。貴女にはイヤな話かもしれませんが、夏子は、今でも、貴女のお父さんを愛しています……親の目から見て、ですが」
「それは……あたしは別に、イヤじゃないんですけど……」
由子は、かつて、二宮夏子が、議員宿舎の自分の家に来た時のことを思い出した。
あの時の夏子は、どこにでもいる、普通の優しい女の人だった。
だが、自分がファーストレディーになってから見た夏子は、由子に敵意むき出しの、ヒステリックなおばさんだった。
そういえば、あの二人は、何故別れてしまったのだろう。
――しっかりなさい! あなたはファーストレディーでしょう!
父親が撃たれた時、夏子が張った右頬の痛みを、由子は思い出した。
「ところで、父のことなんですけど……」
「そうでした」
川端がペンと紙を取り出し、説明を始めた。
「まず、弾丸ですが、右胸のこの辺りにありました。今、レントゲンを見せます」
川端は、机の上にあったパソコンに手を伸ばし、操作すると、ディスプレーを由子に向けた。
「これは……」
「総理の胸のレントゲン写真です。ここに写っているのが弾丸です」
川端は、写真の右胸の一点を指差した。そこに、直径5ミリほどの、丸い弾が写っていた。
「幸いにして、弾丸は大きな血管も、横隔膜も傷付けることはありませんでした。しかし、肺の一部が損傷していたので、取らざるをえませんでした。出血もしていたので」
「肺取ったって……息とかできるんですか? 大丈夫なんですか?」
「それは心配なく。肺がんの手術では、片側の肺を全部取ることもあるんです。そういう方でも、元気に生活してらっしゃいます」
川端は落ち着いた笑顔を浮かべた。
「そうですか……」
「……いつ復帰できるんですか?」
「予測は難しいですね。大体2,3週間あれば退院して、普通の生活が送れると思います。でも…」
「でも?」
「私は、政治家の方を受け持ったことがないので、きちんとは分かりませんが、総理の職務は、大変なんでしょう? 医者もなかなかハードな仕事ですが、一国を背負って立つのは、大変なことに違いないでしょう。それなら、体力気力が元通りになるまで、療養した方がいいかもしれない。川上官房長官が、頼りにならない以上は、ね」
「それ、どれぐらい掛かりますか? そんで、川上先生が頼りにならないって、どういうことですか?」
「どのくらい掛かるかは、本人次第ですね。あと、川上官房長官のことは、記者会見をご覧になれば」
川端の言葉に、由子は考え込んだ。
「……そうですか。また後で確認します。川上先生がなんかやらかしたにしても、あたしに、内閣を動かす権限はないから、何もできねーけど」
由子は一旦言葉を置いた。
「でも、もしそうなら、余計にしっかり、病状発表会見しなきゃな」
由子は唇を結んだ。
「そうですね……」
「病状は、どの程度公表するんですか?」
院長が由子に尋ねた。
「ありのままに全部」
由子は簡単に答えた後、
「ウソを吐かない親父の娘なんですよ、あたしは」
微笑した。
「……なるほど。確かに、総理のお嬢さんだ」
二宮院長は、満足気に頷いた。
そうして、川端医師、二宮院長が行った病状会見は、由子の望むように、負傷の程度、手術の経過と結果、今後の退院と復帰の見通しなど、総理のありのままを伝えるものとなった。
記者たちは、詳細な発表がなされたことに、驚きを隠せないでいた。
一国の総理大臣の健康状態など、下手に公表すれば動揺に繋がる。
だから、オブラートに包んだような、玉虫色の物言いしかできないのが常なのに、川端医師は、身内の由子にしたのと同じような説明を、マスコミにしたのである。
「先生、余りに説明が詳細なのですが……」
術中の写真まで見せられたためか、戸惑いを隠せない記者たちに、川端は、
「ご家族のご希望なので」
と簡潔に答えた。
中村総理の家族と言ったら、由子しかいない。
「さすがは、総理の娘だな」
「ああ、金曜の証人喚問といい、度胸は父親譲りだな」
記者たちの間には、由子に対する好意が、再び広がった。
その様子を、由子は病院内の別室のモニターで観察していた。
(ホントに、これだからマスコミはよ)
記者たちの態度の変化を嬉しく思いながらも、由子はその変わり身の速さに暗澹たる思いを抱かざるを得なかった。
すぐに態度を変えてしまうのは、いかがなものだろうか。
と、
「ちょ……あなたがなんでここにいるんですか」
ドアの外で、はるちゃんが驚いている。
その声に混じり、
「いいじゃねーか。俺の大事な取材対象に会わせろよ」
という、聞き覚えのある声もした。
「相田さん?」
由子が立ち、ドアを細目に開けると、そこには、もじゃもじゃ頭の細身の男が立っていた。
「なんだ。そこにいるんじゃねーか」
相田記者がニヤリとした。
「こんなところまで取材に来るのかよ。ていうか、なんであたしがここにいるって分かったんだ」
由子が抗議すると、
「何、簡単さ。幽霊さんたちが教えてくれたのさ。警備に引っ掛からない抜け道も一緒にな。病院ってのは、幽霊の住む所と、相場が決まってるからな」
相田がニヤリと笑う。
「!」
由子は廊下を見渡した。
事態が事態なので、今日は由子にも警護の警官が何人も付いている。
その警官たちの手前に、青いジャージの上下を着た、顔の青ざめた青年が立っている。
由子の視線に気がつくと、彼は手を振ってみせた。
「幽霊って、言われなきゃわかんねーじゃねーか……」
由子は呟いた。
考えてみたら、公邸に入るまで、ずっと幽霊が見えることに気が付かずに過ごしていたのだ。
みっちゃんや将校コンビのように、あからさまに周りから浮くような格好をしていたら、すぐに分かるが、そうでなくてはとても分からない。
「……もしかして、あたしが乗る電車に先回りしてるのも、幽霊に聞いてるから?」
「今まで気が付かなかったのかよ。鈍感だな」
相田記者が呆れた。
「で、何の取材だよ?」
「いや、今回は情報提供さ。……由子ちゃん、官房長官は怪しいぜ」
「怪しい?」
由子が眉を顰めた。
「揺さぶってみたんだよ、記者会見で。なんで犯人が捕まらないんだ、もしかして国会の誰かが噛んでんじゃねーかって……そしたら、奴、ものすごい動揺してた。ありゃあ、何か企んでたんだぜ」
「あなた、そんなこと聞いたんですか……」
「つーか、どこからそんな発想が出て来るんだよ……」
「ああ、聞いたのさ。官房長官の命令で、犯人の男……非番だった総理のSPを、国会に入れたって」
「それも幽霊から?」
「正解」
相田は短く答えた。
「壁に耳あり障子にめあり、ですか」
はるちゃんが、溜め息をついた。
「ボクらなら、幽霊がいても分かりますけど、普通の人は、ねぇ」
「官房長官が……」
由子は腕組みした。
「だけど、川上先生が、親父を狙う理由が分からねーよ。今、親父を殺したとして、川上先生に、何のメリットがあるんだ?」
「それは……」
はるちゃんは黙ってしまった。
「そんなの、自分が総理大臣になりたいからに、決まってるじゃねーか」
相田が薄く笑った。
「政治家たるもの、一度は総理大臣になる夢を抱かなきゃおかしい」
「じゃあ、相田さんは、川上官房長官が、その夢を実行に移したと?」
「確証はねぇ。だがあり得る」
「つってもさぁ」
由子はまた首を傾げた。
「相田さんに揺さぶられて、動揺するタマが、総理の座なんて狙うのかなぁ……?」
「じゃあ、由子ちゃんは、今回の黒幕は、官房長官じゃねぇと思うのか? 俺の感触じゃ、間違いなく奴は一枚噛んでるぜ」
「わかんねー。でも、何か引っ掛かるんだよな……」
由子は腕を組んだ。
川上官房長官は、今まで、父の仕事をよく補佐してきた。
由子は正確なところまでは分からないが、みっちゃんが、
「ほう、川上官房長官は出来るのう。戦後の官房長官の中でも、ベストファイブには入るぞ」
と、仕事ぶりを見て感嘆していたのだから、有能であることは間違いないのだろう。
毎月公邸で行われる飲み会……もとい、閣僚懇談会では、酒を飲まないせいもあるのだろうが、常に冷静な意見を述べていた。
その男と、父を殺そうとした黒幕とは、どうも結び付かないように思う。
「ひょっとしたら……誰か別にいるんじゃないですか?黒幕が」
はるちゃんが言った。
「へ?」
「誰だよ、それ?」
由子が身を乗り出した。
「わ、わかりませんよ、そんなの……」
はるちゃんの声が、少し甲高くなった。
「まあ、その線も考えられるな」
相田記者が頷いた。
「……官房長官に命令できるっつったら、藤原派の会長?」
「由子さん、それはないです」
はるちゃんが呆れ顔になった。
「わかんねーぜ。親父が気に入らねーから殺った、とか」
「ねぇな。アントンの件でも、藤原会長は由子ちゃん擁護だったし。第一、総理と会長の間に仲違いは一切ねぇからな」
相田は由子の推測をキッパリ否定した。
「じゃあ、親父と対立してるっていったら、安藤派?」
「有り得ますが……殺したいほど憎いかと言われると。しかも、安藤会長が黒幕だとしたら、余りにあからさまですし」
はるちゃんがおろおろした。
「いや、待て」
相田が顎の下に手を当てた。
「一人だけいるよ。もしかしたら、中村総理を憎んでいて、殺せる力もある奴が」
「!」
「誰なんだ、そいつは!」
驚く二人に、
「そいつはなあ……」
相田記者は、声を顰めて話し始めた。
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ファーストガール!~第12章・2~
才蔵門病院の手術室の前の長椅子に、由子は一人、腰掛けていた。
彼女の前には、手術室へと続く扉がある。
「……」
由子は、膝の上で、両手を組み、うつむいていた。
本当は、手術が行われているそばまで行って、父のことを、応援してあげたい。
手術の手伝いが、もし自分にもできるのであれば、手伝いたい。
だが、手術室に立ち入ることは、医療関係者以外、衛生上の観点から禁じられている。
だから、こうやって、待つことしかできない。
父が戻ってくるのを、ただじっと、待つことしかできない。
(あたしが……あたしが、親父に代われたら……)
由子は、歯を食いしばった。
その時、遠くから、急ぐ靴音が、響き始めた。
「ゆーこさーん!」
甲高い叫び声が、廊下に響いた時、由子は立ちあがっていた。
「はるちゃん……」
「ゆーこさーん!」
手を振りながら、佐々木公邸連絡官は、由子に向かってかけてくる。
その姿を見た瞬間、由子の顔が、くしゃくしゃになった。
「は、はるちゃん……」
「由子さん?!」
ファーストレディーの異変に気がついたはるちゃんは、上げていた手を下ろし、由子のそばに駆け寄った。
すると、
「はるちゃん……」
由子が、自分の顔を、はるちゃんの胸に押しつけた。
「はるちゃん……親父が……親父が……」
「由子さん!」
寄りかかられたはるちゃんは、突然のことに、どうすることもできなかった。
「親父が……死んじゃう……死んじゃうよ……あたしが、あたしなんかを、かばうから……」
「由子さん、落ち着いてください!」
はるちゃんは、あわてて由子の両肩をつかんだ。
このように、由子が泣きじゃくるのを見るのは、初めてのことだった。
「馬鹿だよ……親父、馬鹿だよ……あたしを、かばって、自分の命、危険にさらしやがって……あたしの、たった一人の、家族が、死んじゃうなんて……そんなの、そんなの、いやだぜ……」
「……大丈夫です!」
はるちゃんは、由子を強く抱きしめた。
「大丈夫ですよ……先生は、必ず元気で帰って来ますから。信じましょう。先生のこと」
「うん……」
はるちゃんの腕の中で、由子はうなずいた。
その瞬間、はるちゃんの身体にかかる力が、急に大きくなった。
「由子さん?!」
異変に気が付き、はるちゃんは腕の中の少女の身体を揺さぶった。
反応はない。
「由子さん!」
胸に埋めていた顔を、照明の下に曝すと、不自然に目を閉じているのがわかった。
そのころ、総理官邸では、川上官房長官が、青ざめた顔で記者会見を行っていた。
「皆様すでにご承知おきと思いますが、今回の総理狙撃の件について、説明をさせていただきます。10時25分、国会議事堂の、参議院本会議場前におきまして、中村総理大臣が、狙撃されました。総理はその場に倒れ、直ちに厚生労働大臣によって応急処置を施され、10時33分、半蔵門病院に搬送。36分病院着、救命センターに搬送され、現在、手術中です」
「容体は!」
「撃たれたのは、どこでしょうか?!」
司会のコントロールを外れ、記者たちが殺気立って質問する。
みんな、内閣総理大臣の狙撃という、79年ぶりの事態に、驚き、興奮しているのだ。
「静粛に!」
川上官房長官が半ば叫ぶように言った。
その手が、ブルブルと震えている。
記者たちは静まり返った。
「まだ初療の段階で、ハッキリとした怪我の程度は分かりませんが、私が見た限りでは、総理の意識はハッキリとしており、由子さんや、厚生労働大臣とも会話をする余裕がありました。ただ、手術してみないと、詳しい損傷の程度は分かり兼ねるということでありました」
水を打ったように静まり返った記者会見場に、官房長官のうわずった声が響く。
「……こうした事態でありますので、内閣法に基づいて、総理大臣は現在、職務不能状態であると判断致しました。即ち、臨時代行を置き、国務を取り仕切ることとなります。2006年9月25日の閣議決定に基きまして、不肖、この川上が臨時代行を努めます」
川上官房長官は胸を張ったが、どこか空しさが残った。
「以上で、臨時代行からの発表は終わります。引き続いて、質問を受けます」
すると、真っ先に一本の手が挙がった。
「では……その二列目の、赤いセーターの方」
すると、差された人物が、立ち上がった。
「週刊トップの相田です」
キツネ目の、縮れた毛の相田記者が、立ち上がった。
「今回の狙撃事件について、総理が由子さんをかばって負傷したという話が出ているのですが、それについてのご見解をいただきたいのがまず一点、また、狙われたのが総理ではなく、由子さんである可能性についてお聞きしたいのが第2点、国会内に狙撃犯が紛れ込んだことについて、また、犯人が逃走を未だに続けていることについて、国会内部に手引きするものがいるのか、また国会の内部の人間が犯人であるのかお尋ねしたいのが第3点……以上三つです」
質問を聞いている臨時代行の顔が、ピクピクと引きつった。
すると、
「重要な問題であるからして」
相田記者の声が大きくなり、代行は身体をビクッと震わせた。
「是非とも、お答えいただきたい!……と、思います」
相田が更に要求する。
「……」
川上代行は、口を半開きにしたまま、答えることができない。
「川上官房長官じゃ、力不足だな」
「ああ、これなら、第2位の観音寺外相にした方がよかったな」
「それにしても、この動揺は、激しいな……」
「まさかとは思うが……」
記者たちに、ざわめきとともに憶測が広がる。
「げっ……現段階では、警察の捜査が進んでおりませんので改めて回答致したいと思います!」
川上代行は、蚊の鳴くような声で、早口に答えた。
「改めて、ね……」
相田は鼻で笑った。
「楽しみに待ってますよ、官房長官。最も、そんな態度じゃ、あんたが回答できるまで、そこに立てる立場でいられるかどうか、怪しいもんだな」
ニヤリとした相田を見て、川上の顔が、みるみるうちに真っ赤になった。
「あ……あいつをひっとらえろ!」
ここが記者会見場であることを忘れたのか、川上は逆上して叫んだ。
「マスメディアの人間を捕まえるってからには、それだけの覚悟は出来てるんでしょうね?言論の自由ってのを分かってないと、痛い目にのるぜ。中村総理だったら、こんなことぐらい、角立たないように、処理してくれたのになあ」
相田の切り返しに、川上代行は、ぐうの音も出なかった。
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ファーストガール!~第12章・1~
「親父……」
国会議事堂、参議院本会議場前。
凶弾を受け、床に崩れ落ちた父・中村幸太郎第90代総理大臣を前にして、中村由子は立ちすくんでいた。
父が撃たれた。
総理大臣が撃たれた。
(そんな……)
目の前で起こってしまった、余りに大きな事態に、由子の頭の中は、真っ白になった。
眼前の光景が、ぼんやり霞んでいく。
と、
ぱちん!
自分の右頬に、衝撃が弾けた。
それと同時に、
「しっかりなさい!」
自分を叱る声が聴こえた。
由子は視線を上げた。
泰平党党首・二宮夏子の、鬼のような形相が、目の前にあった。
「あなたはファーストレディでしょ!」
二宮の叱責が、更に由子の耳を撃つ。
はっと我に返った由子は、緊張した面持ちで頷いた。
「……すぐに救急車呼べ! あと、川上官房長官か観音寺先生! それから……医者か看護師っ! 600人から国会議員がいるんだ! 誰か一人くらい、医者か看護師の免許持ってる奴いるだろう!」
由子の声で、周りを取り囲んでいたSPたちが、わっと一斉に動きだした。
その中心で、由子は父の身体の側に跪いていた。
「親父! しっかりしろ!」
呼びかけると、
「おう、由子か……」
右胸を押さえながら、中村総理大臣は微笑した。
「ちゃんと助かったか。よかった」
「って、てめー、まさか、さっき突き飛ばしたのは……」
由子は、父の先程の行動の意味を、ようやく了解した。
この父親は、自分に銃を向ける犯人を発見し、犯人の銃撃が娘に当たらぬよう、とっさに娘を突き飛ばしたのだ。
「ばかっ! 何やってんだよ! てめーが銃撃くらって、どーすんだよ!」
娘の叫びに、父は答えなかった。
その代わり、右手が左胸に動き、スーツの中をまさぐった。
「?」
由子が首をかしげていると、スーツの上に現れたのは、白い封筒を掴んだ右手だった。
「由子……」
中村総理は、右手を娘に伸ばした。
「お前が二十歳になったら、これ、読め……」
封筒を押し付ける父に、
「ばかっ! 遺書のつもりかよ!」
由子は怒鳴った。
「そんなの、まだはえーよ! てめーは死なさねえ……絶対に死なさねーからな!」
「……総理はどこだっ!」
バタバタした足音と共に、由子のとなりに割り込んで来た人物がいた。
厚生労働大臣の、木下伊佐治(きのした・いさじ)だった。
「木下先生?!」
「総理を診せてくれ、由子さん……私は医者だ」
いつになく真面目な表情の厚労相に、
「は、はい! お願いします!」
由子は即答した。
「じゃあ、上着を取って。診察するから……誰か! 医務室から血圧計と聴診器、持ってきて! 点滴の道具もね!」
木下の言葉に、周囲の何人かが散っていく。
由子もいわれたようにしようと、父の上着を脱がせようとしたが、白い封筒の存在に気がつき、それを自分のブレザーの、左胸の位置にある内ポケットに入れた。
そうしている間に、木下は手早く総理の上着を脱がせ、傷の状態を観察し、診察していた。
「……右胸だったのは、まだよかったですな、総理」
「そうですか」
父が答える。やや辛そうである。
「ですが、総理、これは手術が必要です。それも、早くに、です」
「わかりました。存分にやってください。由子もそれでいいな?」
「ああ、当たり前だろ」
由子は緊張した表情で頷いた。
「そうですか。そうなると、次はどこで手術できるか、ですな……呼吸器外科は絶対必要でしょうし、大血管を損傷していたら血管外科、腹腔に銃弾が達していれば、消化器外科もいるし……麻酔科も必要だし、スタッフのそろった病院じゃないと……」
木下が腕組みすると、
「……私、父に聞いてみます」
声を挙げた人物がいた。
二宮夏子である。
「二宮先生? いたの?」
由子の驚きに、
「いたの、とは何なのよ! いたって悪くないでしょ!」
硬い表情をしていた二宮は、由子に雷を落とした。
だが、一瞬で表情を切り替えて、厚労相に身体を向ける。
「……木下先生。才蔵門(さいぞうもん)病院はどうでしょうか。私の父が院長をしていますから、すぐに、手術ができるかどうか、聞いて見ます。……私が電話を掛けますから、先生と父でお話になってください」
すると、
「なるほど、才蔵門レベルの大病院なら、スタッフも設備も申し分無しだ。ここからもすぐ行ける……お願いします。総理も、由子さんも、いいですね?」
「……お願いします!」
由子は息せき切って叫んだ。
総理も頷いた。
その時、ストレッチャーを押した救急隊員たちが、国会内に現れた。
「おーい! こっちだ!」
木下が手を挙げて、救急隊員を呼びつける。
駆け付けた救急隊員は、総理に酸素マスクをつけ、手早くストレッチャーに乗せた。
動き始めたストレッチャーの横に、由子はぴったりとつく。
そのすぐ後ろを、木下、二宮が駆けた。
国会議事堂の赤絨毯の上には、国会議員やその秘書たちが、怒りや悲しみ、驚きなど、さまざまな表情を作って、何列にも並んでいる。
その間を、ストレッチャーが、嵐のように駆け抜けていった。
「川上さん、あとを頼みます!」
居並ぶ国会議員の中に、青ざめた川上官房長官の顔を見つけて、由子は叫んだ。
総理が職務不能となれば、官房長官が臨時代理として、総理の職務を代わって行うこととなるのである。
救急車は、猛スピードで発進し、3分後には、才蔵門病院に到着した。
「親父はこの国そのものなんだからな! もし死んだら、あたしだけじゃねえ、国民みんなが承知しねえぞ!」
手術室に運び込まれていく父親の体に、由子はありったけの声で叫んだ。
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ファーストガール!~第11章・14~
週末は、平穏に過ぎた。
「親父、今日の晩メシは何にする?」
「んー、そうだな。ハンバーグにでもするか。俺が作るよ」
「え? 親父が作るの? どういう風の吹き回しだよ」
「いや、最近、メシ作ってないな、と思ったからさ。だけど、俺も由子も、外に出たら、色々と騒動に巻き込まれそうだな」
「じゃあ、藍さんに、買い物に行って貰おうぜ」
「そうだな。しばらくは、しょうがない」
中村総理も、由子も、公邸に篭って過ごし、久々に、親子二人の時間を、のんびりと楽しんでいた。
だが、二人の口から、政治がらみの話題が出ることは無かった。
二人とも、意図的に避けていたのである。
もちろん、由子の提出した進退伺のことも、父はおくびに出さなかった。
(……あれは受理したのかって、訊いた方がいいのかな?)
由子は、何度かチャンスをうかがったが、どうしても、隙を見つけることが出来なかったのである。
そして、3月5日、月曜日。
「じゃあ、行ってくる」
午前7時半、いつもより早めに家を出る父親を、
「ああ、行って来い」
制服の上からエプロンを掛けた由子は、玄関で見送った。
続いて玄関から出るはずの由子は、再びリビングに戻り、届られた新聞を読み始めた。
「由子さん、学校は?」
余りにゆったりとしている由子に、はるちゃんが声を掛ける。
「今決めた。4月まで、学校に行かない」
由子は振り返らずに答えた。
「え?!」
「だって、期末試験、証人喚問のせいで、受けられなかったんだぜ。ただでさえ、出席ぎりぎりだし、留年確定だぞ。それだったら、4月から、もう一度、2年生やり直した方がいいぜ」
「それは……謹慎のつもりですか?」
「まあな」
由子は片目を瞑った。
「あんだけ世間を騒がしたんだ。謹慎して当然だろ」
「それは……それはそうかも、しれませんけど……」
反論できないはるちゃん、そして、呆然としている藍さんの前で、由子は悠々と新聞を読み、読み終えると台所に立った。
そして、手早く、父親の弁当を作っていく。
30分ほどで弁当を完成させると、由子は公邸の裏口を出た。
時刻は、10時を過ぎようとしている。
道路に出ると、タクシーを捕まえ、国会議事堂に進ませた。
到着すると、議事堂の通用口を顔パスで突破して、中に入る。
この中に入るのは、2度目だった。
(親父はどこにいるかなあ)
1階のホールで見渡していると、丁度、人が集まるのが見えた。
「親父っ!」
由子が大声で叫ぶと、SPに囲まれた父親が、こちらに気がつき、走りよってきた。
「ゆ、由子、お前、こんなところまで、どうしたんだ?」
「……弁当作り忘れたから、持って来たぜ」
由子は、弁当の包みを手渡した。
「あ、ありがとう」
「今日は鮭の焼いたのと、ほうれん草のおひたしと、アスパラとにんじんのベーコン巻き」
「そうか。綺麗に食べて返すからな」
SPたちが遠巻きに作った輪の中で、親子は会話を交わしていた。
と、
「あら? 由子さん?」
泰平党党首が、輪を突破して、ずかずかと会話に入り込んだ。
「二宮先生……こんにちは」
由子が頭を下げると、
「今日は国会見学? 学校はどうしたの」
いつもながら、きつい口調の二宮女史に、
「……学校は、4月まで行きません。謹慎です。ファーストレディーもやめたし、世間も騒がせたし、謹慎します」
即座に猫をかぶって、由子は動じずに応対した。
すると、
「あら? あなた、ファーストレディーは辞めてないでしょ?」
二宮党首が首を傾げた。
「は? 何をおっしゃってるんですか。私、父に進退伺を渡したんです。世間を騒がせた責任を取って、ファーストレディーを辞めようと思って」
反論する由子に、
「……あなた、テレビ見てないの?」
ため息をついて、二宮党首は言った。
「はい?」
不審の表情を浮かべる由子に、
「進退伺って、総理が今日持ってた、あの書状のこと? それなら、総理が、今朝、マスコミの前で破り捨てたわよ。辞める必要なんかない、って」
「え……?」
由子は弁当の包みを持った父を見た。
「なんで?」
「……辞める必要がない、それだけだ」
憮然とした表情で、父は娘に答えた。
「それだけだ……って、あたしが納得できねーよ」
由子は、父親に詰め寄ろうとした。
すると、父親は、無言で自分を、力いっぱい突き飛ばした。
なぜ父が自分を突き飛ばしたのか、わからないまま、由子は床に倒れた。
「ふざけるな! 親父!」
と叫ぼうとしたその声は、その場に響いた異質な音で、止まった。
何かが、弾けるような音。
うめき声。
血の匂い。
「え?!」
見上げた由子の眼に映ったのは、父親の苦悶の表情だった。
歯を食いしばり、額にしわを寄せ、右胸に当てられた手の指の隙間から、血がたらたらと流れ出ている。
「親父……?」
呆然とつぶやくと、
「由子……」
父親は、床に膝をがくりと付いた。
「お……おやじぃーー!」
国会議事堂に、少女の悲痛な叫びが響いた――。
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ファーストガール!~第11章・13~
その後、予算案は、続いて行われた衆議院本会議で、賛成多数で採決された。
そのまま、参議院の予算委員会が開かれた。
開催時刻は、既に午後9時になろうとしていた。
しかし、今日中に採決を終わらせないと、4月からの業務に支障が出る。
そして、民自党・泰平党、両党の国対委員長が、賛成することを、参議院議員たちに厳命していた。
由子の一喝から続く国会の熱気の中、命令は瞬く間に伝わった。
そして、4時間のスピード審議で、予算委員会で予算案が成立。
引き続いて参議院の本会議が行われたときには、午前2時を回っていた。
3月3日午前2時12分、いや、3月2日26時12分、参議院本会議で、予算案が可決、成立した。
その瞬間、由子は公邸にいた。
リビングのテレビの前で、幽霊たちと共に、中継されていた国会の風景を眺めていた。
「終わった……」
「終わりましたね……」
「これで、終わりじゃな」
参議院の議場でバンザイの声が響いた瞬間、誰ともなく、呟いた。
「予算、成立したな……」
「しましたね……」
由子は立ち上がった。
その瞬間、バタバタバタ、と廊下を誰かが駆ける音がした。
「ゆ、由子さあああんっ!」
騒々しくリビングのドアを開ける音と共に、室内に崩れ落ちたのは、佐々木春男だった。
「はるちゃん?!」
眠かったのも忘れて、由子ははるちゃんに駆け寄った。
「しっかりしろ、はるちゃんっ。今、予算が参議院の本会議で成立したぜ。……勝ったんだよ、あたしたち。はるちゃんのおかげだよ。ありがとう」
「予算が成立?……参議院で……?!」
呟いたはるちゃんの目に、涙が光った。
「よ、よかったああああああ……」
ぽろぽろと大粒の涙を流すはるちゃんに、
「は、はるちゃん、泣くなよ」
由子は、机の上にあったティッシュの箱を差し出した。
「ルストブールから、直行で帰って来たのか」
「はい、飛行機があったんで……空港から、タクシーに乗ってきました」
「メシまだだろ? 何か作るから待ってろ」
「あ、大丈夫です……機内食、ガッツリ食べたんで……」
「そうか、じゃあ、今日は寝ろ。明日は、いや、もう今日だけど、土曜日だし、ゆっくりできるだろ。あたしももう、ここから出るから」
床に跪いていた由子は、立ち上がった。
「お休みになりますか」
はるちゃんが、後を追って立つ。
「いや……親父の机に、これ置いてから」
由子は、右手を左胸に当てた。
「これ?」
はるちゃんの声に、由子はブレザーの前を開いて、胸ポケットの裏に手を突っ込んだ。
出てきたのは、白い封筒だった。
表には、「進退伺」と、墨痕鮮やかに書かれている。
「由子さん?! これは……」
はるちゃんは、眼を見開いた。
みっちゃんも、佐野さんも、森本大尉も、真柴中尉も、口を一様に、あんぐりと開けた。
その、驚きの視線の集中砲火の中で、
「見ての通りさ」
由子は、微笑した。
「書いたのさ、証人喚問の前に。あたしがファーストレディーになったせいで、大事な予算が成立しないってことになったら、親父に申し訳が立たねーからさ」
「だけど、予算は成立しましたよ? 辞める必要、ないじゃないですか」
はるちゃんは由子に詰め寄った。
だが、由子は、首を横に振った。
「……国会で、ああまで言ったんだ。辞めないと、示しがつかねーだろ。武士に二言なし、ってやつさ。それに、……あたしは親父の娘なんだ。ウソついてどうすんだよ。“常に信義を以ってせよ”……一旦ファーストレディーを辞めるって言ったんだ。辞めなきゃ、あたしの、国民に対する信義に悖る、ってやつさ」
はるちゃんも、幽霊たちも、その言葉に、言い返すことができなかった。
「じゃ、お休み」
無言のままのはるちゃんを残し、由子は、リビングから出て行った。
それとほぼ同時刻、
「総理」
参議院の議場の出口で、中村総理大臣を呼び止める人物がいた。
真田国対委員長である。
「なんでしょうか、真田先生? こんなところまで、わざわざお越しとは?」
尋ねる総理大臣は、常と変わらぬ様子であった。
「……申し訳ございませんでした」
真田は、中村総理に、深々と頭を下げた。
「どうしたんですか、真田先生、頭を上げてください。急に何かと思えば……。予算が成立したのは、先生のおかげじゃないですか」
中村総理は、慌てて真田の頭を上げさせようとした。
「しかし……しかし……由子さんを、窮地に追いやったのは……」
それ以上言いかける真田を、
「そこまでにしましょう」
中村総理は、手で制した。
「私も、真田先生も、操られていただけです。ですが、私はもう迷いません。行く手を塞ぐ敵がいるならば、それと戦うまでです」
中村総理は、右手を左胸に当てていた。
「総理……まさか、この件には、黒幕がいると……」
「ええ」
それは誰ですか、と問おうとして、真田はある可能性に気がつき、息を呑んだ。
「まさか……まさか、総理、黒幕は……」
中村総理は、真田委員長の目を見ながら、一つ頷いた。
そして、それと同時刻、渋谷区猿楽町のとある邸宅の中。
ソファーにかけて、黙ってテレビ画面を見つめる人物がいた。
暗い部屋の中、テレビから発する光が、和服に包まれたその身体を照らし出している。
その側には、秘書と思しき、背広姿の人間がいる。
「先生……」
秘書の呼びかけにもこたえぬまま、その人物は、拳を握り締めていた。
「先生……?」
すると、彼の指が、テレビ画面を差した。
「殺せ……」
地獄の底から響いてくるような声に、秘書はぎょっとした。
「あれを、殺せ……」
「せ、先生?」
秘書は恐る恐る、彼の顔色を伺う。
だが、彼の思考には、秘書の存在は、既に入っていなかった。
「……あの小娘を、殺せえええっ!」
画面には、笑顔でサミットの晩餐会に出席する、中村由子が映っていた――。
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ファーストガール!~第11章・12~
真田の行動は、議場混乱の中、誰にも見咎められることはなかった。
堂々と、カメラの前を横切ったのだが、テレビ中継を見ていた国民も、須賀川議員をはじめとする国会議員の土下座という事態に度肝を抜かれ、注意をしていなかった。
当然、閣僚たちも、真田の動きに気がつかず、彼が自分の近くまで来て初めて気がつく、といった有様だった。
驚いて声を出そうとする閣僚たちに向かって、真田は右の人差し指を口に当てて見せると、総理にメモを渡した。
『今から予算案採決に踏み切ります 泰平も賛成に回ります』
メモには、そう書かれていた。
首相が、国対委員長を見ると、国対委員長は、笑顔で頷いて見せた。
その隣の席に座っている、泰平党の国対委員長も、首相を見て頷いた。
その頃、議場は、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
それを見て、
「ただいまを持ちまして……」
田野津委員長が閉会を宣告しようとしたそのとき、
「委員長。発言を求めます」
素早く自席に戻った真田国対委員長が、突然発言を求めたので、議場は再びざわめいた。
田野津予算委員会委員長が、救いを求めるように首相を見る。
中村総理は、黙って首を縦に振った。
「……真田君の発言を、認めます」
委員長が言葉を搾り出すと、真田は澄ました顔で、
「予定外ではありますが、予算案の採決を求めます」
と言ったので、更にざわめきが大きくなった。
そして、
「私からも、求めます」
間髪入れずに、橘国対委員長も立ち上がったので、更にざわめきが大きくなった。
予算委員会委員長は、再び、困惑した表情で総理を見上げた。
総理は力強く頷いた。
「では……、予定外ではありますが……、予算案の採決に移りたいと思います。賛成の方は、ご起立願います」
委員長の言葉に、真っ先に国対委員長二人が立ち上がった。
こうなると、二党の議員は、立ち上がるほかなかった。
国対委員長は、国会内では絶対である。
「さっ……賛成多数と認め、来年度予算案を採決いたします」
委員長の、上ずった声が、マイクを通して議場に響く。
すると、
「バンザイ!」
真田が、両手を大きく挙げて叫んだ。
「バンザイ!」
橘も、大きな声で叫んだ。
「……ば、バンザイ!」
「バンザイ!」
2人に引きずられるようにして、両党の議員が、バンザイの声を挙げる。
その光景を、由子は、証人席から、眺めていた。
今実際に起こった光景が、信じられなかった。
あっけなく、自分の手に、勝利が転がり込んできたからだ。
――予算案が、委員会で成立した。
誰がこの企みを建てたのか、は知らない。
けれど、そいつに勝った。
勝つことが出来た。
もうこれで、日ノ本が歩みを止めてしまうことはない。
由子の目から、光るものが流れ落ちた。
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ファーストガール!~第11章・11~
3月2日、午後2時。
「……ただいまから、予算委員会を開会をいたします」
民自党の田野津(たのつ)衆議院予算委員会委員長が、予算委員会の開会を宣言した。
「本日は、外交予算に関する調査のうち、いわゆるファーストレディーを巡る一連の事件に関する件を議題とし、証人の証言を求めることといたします」
と言って、委員長は、証人席に座っている、一人の少女を見やった。
「……まず、委員長から確認させていただきます。あなたは中村由子君御本人でありますか」
「本人であります」
由子は、落ち着いた、ハッキリした声で答えた。
その声は、国営放送の生中継で、全国のお茶の間に響き渡った。
「この際、中村証人に一言申し上げます。証人には、本日御出席をいただき、誠にありがとうございました。当委員会におきましては、予算に関する調査を進めておりますが、本日は特に一連のファーストレディー関連の問題に関する件について証言をいただくことになった次第であります」
(始まったな……でも、何言ってるんだ?)
授業中、ワンセグ携帯のイヤホンを耳に突っ込み、国営放送の中継を聴いていたのは、都立みなと臨海高校の生徒会長・豊田だった。
「証言を求めるに先立ち、証人に申し上げます。議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人には、証言を求める前に宣誓をしていただくことになっております。宣誓又は証言を拒むことができるのは、次の場合に限られております。自己又は自己の配偶者、三親等内の血族若しくは二親等内の姻族又は自己とこれらの親族関係にあった者及び自己の後見人、後見監督人又は保佐人並びに自己を後見人、後見監督人又は保佐人とする者が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれのあるときは宣誓又は証言を拒むことができます」
「……切り札が、出ましたね」
公邸で、由子が付けっぱなしにして出て行ったテレビを見ながら、呟いたのは佐野さんだった。
万が一、自分にとって不利な質問をされたら、「父が有罪となる恐れがあります」と答えてはぐらかす。
それが、“チーム由子”が「最後の手段」として、立てた作戦だった。
「また、医師、歯科医師、薬剤師、助産師、看護師、外国法事務弁護士を含む弁護士、弁理士、公証人、宗教の職にある者又はこれらの職にあった者が業務上委託を受けたため知り得た事実で他人の秘密に関するものについて証言を求められたときも宣誓又は証言を拒むことができますが、本人が承諾した場合はこの限りではありません。正当の理由がなくて証人が宣誓又は証言を拒んだときは、一年以下の禁錮又は十万円以下の罰金に処せられます。また、宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになっております」
「じゃが、この切り札は、諸刃の剣じゃな。この理由で証言を拒めば、総理に火の粉が降りかかるだろう」
みっちゃんが、髭を扱いた。
「……なお、今回の証人喚問に関する理事会の決定事項については、証人には既に文書をもってお知らせしたとおりでありますが、この際、その主要な点について申し上げておきます。第一点は、証人が補佐人に助言を求めることが許される場合についてであります。証人は、補佐人に対し、宣誓及び証言の拒絶に関する事項について助言を求めることができます。ただし、証人は、補佐人に助言を求めようとするときには、その都度委員長の許可を得なくてはなりません。補佐人は、証人の求めによらず自ら助言することはできません。また、補佐人は発言することはできません」
「補佐人、つけなくてよかったんですか? 閣下がどなたかに取り付いて、補佐をするということも、可能だったでしょうに」
尋ねたのは、真柴中尉だった。
「……第二点は、資料の利用についてであります。証人は、証言を行うに際し、資料を用いようとするときは、あらかじめ本委員会に提出し、委員長の許可を得る必要があります。第三点は、メモ筆記についてであります。証人のメモの筆記は尋問の項目程度に限られております。補佐人はメモを取ることができます。以上の点を十分御承知願います」
「由子さん自身が要らないと言ったんだ。それを信じよう」
森本大尉が答える。
「……この際、御報告をいたします。証人の宣誓及び証言中における撮影及び録音につきましては、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律第五条の三の規定により、委員長が証人の意見を聴いた上で委員会に諮り、これを許可することになっております。本日の委員会における証人の宣誓及び証言中の撮影及び録音につきましては、委員長が中村証人の意見を聴いたところ、撮影及び録音・中継については、是非やっていただきたいとの旨でありました。これを受け、理事会で協議いたしました結果、本日の委員会における証人の宣誓及び証言中の撮影及び録音・中継につきましては許可することに意見が一致しました。この際、お諮りをいたします。本日の証人の宣誓及び証言中の撮影及び録音につきましては、理事会の決定どおり、これを許可することに御異議ございませんか」
(面倒だなあ、こんなことまでしなきゃいけないなんて……)
「異議なし」と叫ぶ声を聞いて、由子はため息をついた。父は、こんな煩雑な手続きの中で、日々を暮らしていたのだろうか。
「……御異議ないと認め、さよう決定をいたします。それでは、法律の定めるところによりまして、証人に宣誓を求めます。全員御起立をお願いいたします」
委員長の声で、由子も立ち上がった。
「……中村由子君、宣誓書を朗読してください」
由子は、証言台に置かれた紙を手に取った。
「宣誓書、平成十九年三月二日、予算委員会。良心に従って真実を述べ、何事もかくさず、また、何事もつけ加えないことを誓います。証人、中村由子」
朗々とした声が、議場に響く。
「……全員御着席願います。証人は、宣誓書に署名捺印してください」
由子は委員長の指示に従った。ちなみに、ハンコは、藍さんに買って来てもらった、105円のハンコであった。
「……署名を委員長の職において確認をさせていただきました。これより証言を求めることといたしますが、証人の御発言は証言を求められた範囲を超えないこと、また、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言をなさるようお願いをいたします。なお、質問を受けているときは御着席のままで結構でございますが、お答えの際には起立して御発言を願います。この際、委員各位に申し上げます。本日は、申合せの時間内で証言を求めるのでありますから、不規則発言等、議事進行を妨げるような言動のないよう特に御協力をお願いを申し上げます」
(さて、これがどこまで守られるか、だな)
由子は、質問者席にいる、須賀川の青ざめた顔を見やった。
質問者は、委員長と須賀川だけになったとはいえ、須賀川が変な質問で時間引き延ばしを図る可能性は、十分にあった。
「……それでは、まず委員長から証人中村由子君に対しお尋ねをいたします。ルストブール公国第二公子、アントン・ジュリアン・ガブリエル・ルストブール殿下にあらせられましては、成年式のため、本日、この委員会に出席できません。したがって、中村証人には、真相の解明と外交の体質改善に向けて誠実に御答弁をお願いをいたします。問題点は、わが国の主権を、外国に侵させる可能性についてであります。証人は、まずもってどのような御認識をお持ちでありましょうか」
由子は、息をすうっと吸った。
「今言われました件については、絶対にないと確信しております」
はっきり断言したことに、議場が若干ざわめいた。
「次に、アントン殿下との関係をお尋ね申し上げます。証人は、アントン殿下に対して、どのような御認識をお持ちでありましょうか?」
「ルストブール公国の第2公子という要人であり、私のクラスメートであり、友人である、という認識です」
「恐縮ですが、恋愛感情はおありでしょうか?」
「ございません」
由子は短く答えて行った。
「では次に、2月21日に発売になった、写真週刊誌について質問をいたします。ここには、あなたと殿下が二人で歩いている写真が載っていますが、この写真について覚えがあるでしょうか?」
「ございません。この写真は、アントン殿下が発表されたように、合成写真です」
「では、2月24日の週刊現在に掲載された、アントン殿下の文章については?」
「もらった覚えがありません。殿下が発表されたように、でっち上げです」
「わかりました。委員長からは、これで終わります」
由子は、短く、テキパキと答えた。少しでも、予算審議の時間を早めなければならない。
「……他に発言のある方は、これを認めます」
田野津委員長がこう言うと、質問者席に、ぶるぶる震えながら座っている男が、手を挙げた。
「須賀川委員」
委員長の声で、須賀川信が立ち上がった。
「しょ、……証人に、お尋ねします」
上ずった声が、マイクから流れた。
「証人は、わが国の主権を、外国に侵させる可能性について、絶対にないと断言しました。では、アントン殿下の留学についても、主権を侵すという可能性について、想定されていたでしょうか?」
「想定しておりません。また、アントン殿下が、万が一、そのようなお考えをお持ちで留学されたということであれば、絶対に阻止しております」
須賀川の質問を、由子は、容赦なく斬った。
「では、アントン殿下が留学された理由について、証人はどう御認識されていましたか?」
「日ノ本のことを勉強しに、と考えております」
「あなたを追って留学、と考えたことはございませんか?」
「ございません。たとえそうであるとしても、私は絶対に、そのお気持ちにはこたえません」
(想定どおりの質問を……)
由子は、内心、余裕綽々だった。
質問者は、「由子がアントンに恋愛感情を抱いているか」よりも、「アントンが由子に恋愛感情を抱いていたか」という方面から攻めてくるだろう。
そして、「抱いていた」ということを認めさせれば、「アントンが由子を欲しがっているということは、アントンが日ノ本の主権を侵害するという意志を持っていたのだ」という理屈で攻め、由子側の非を認めさせようとする……みっちゃんと由子は、そう予測していたのだ。
――じゃから、そんな気持ちがアントン側にあっても、こちらはそれを全て突っぱねるんじゃ、という主旨で一貫するのじゃ。
みっちゃんの言葉に、由子は従っていた。
由子の答えに、須賀川は詰まってしまった。
(このままでは……このままでは……)
立ちすくんだまま、内心は焦っていた。
「なるべく質問を沢山するように」
派閥のボス・安藤熊蔵からは、そう指示されている。
だが、この状況下で、ここまで鮮やかに返されては、質問が思いつかなかった。
「もう、おしまいですか。……だったら」
黙っている須賀川を見て、由子から言葉を発した。
「こっちからも、言わせて貰おうか」
急に口調が変わり、自分を睨み付けた総理の娘に、須賀川副会長はぎくりとした。
「こんなことやってるくらいなら、さっさと予算審議して、成立させろってんだ」
不敵な顔で喋り出した由子に、予算委員会の会場はざわめいた。
「いくらファーストレディーだからとは言え、やれ外国の要人と色恋だの、週刊誌の告訴がどうのだの、そんなことは、国益にとっちゃあ、些細な問題だろ? 繰り返しになるけどよ、アントンがどう言おうが、あたしは、アイツと男女交際したいとは、一度も言った事がねーんだよ。アイツは、単なる友達だよ。たとえ親父の命令であっても、あたしは、アントンとは、ぜってーに交際しねえよ。あたしの好みは、あいつみたいな、完全無欠の天才王子様じゃねーんだよ。例えイケメンじゃなくっても、馬鹿でもドジでも間抜けでも、一生懸命生きてる男を、あたしは彼氏にするね」
由子の台詞が進むに連れて、会議場のざわめきは大きくなった。
由子が、それまで被っていた猫を、この場で、かなぐり捨てたからである。
ネットでは、由子がべらんめぇ調で喋ることは伝えられていたが、公式の場でこのような口調になったのは、初めてだった。
「おいおい、とうとうキレたぜ」
動揺する議員が多くなる中、ただ一人、総理だけが、娘を静かに見ていた。
その視線の先で、高校の制服姿の由子は、
「あたしがファーストレディーにふさわしくねー、って言うんなら、それで結構」
ぎろりと議場を一睨みした。
それだけで、ざわめいていた議場は、静まり返った。
「ただなぁ、国民の一人として、言わせて貰うぜ。……てめーら、他にやることがあるだろうが!」
野次を飛ばそうとした議員が、慌てて口を閉じた。
「予算委員会っつったら、予算案を議論するんだろ? それがなんで、あたしに質問してるんだよ? あたしに質問したら、予算が決まるのかよ? どこのだれの指図だか、知らねーけどよ。予算案をさっさと審議して、結論出さねーと、一番困るのは誰だと思ってんだよ? 国民だぜ? だって、金がつかねぇと、役所の仕事が全部ストップするもんなぁ」
由子は喋り続けた。
議場は静まり返ったままだった。
委員長ですら、不規則発言を止めるのを忘れていた。
「十七の小娘に叱られるのがイヤだったら、さっさと予算案の審議に戻れ。それが国民に選んでもらった、てめーらの義務だぜ? 予算案が成立すんだったら、あたしは喜んで、ファーストレディーやめてやらあ」
由子は、父親のくせと同じように、右手で左胸を押さえ、不敵な笑みを見せた。
彼女の身体からは、あらゆる質問を封じてしまうほどの、圧倒的な迫力が発散されていた。
質問者席にいる須賀川の額からは、冷や汗が滴り落ちていた。
質問文を握った手が、ガタガタと震え、顔は青ざめている。
完全に、由子に圧倒されてしまった格好であった。
「……以上!」
由子は須賀川を睨みつけた。
「ひいっ」
須賀川の口から漏れた甲高い音が、マイクに拾われる。
「……い、い、いいいい委員長っ!」
須賀川が、右手を高く突き上げた。
「は、発言を認めます」
やや上ずった委員長の発言を聞く間もなく、須賀川は、床に土下座した。
「すっ、……すみませんでした! 由子さんっ! 僕が、間違ってました!」
議場内は、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
証人喚問において、質問者が、招致した証人に対して、土下座するなど、国会始まって以来のことだった。
「由子さん、申し訳なかったです!」
「我々が悪かった!」
副会長に倣い、次々に土下座するファンクラブの面々の謝罪の声と、
「由子さん……たいしたもんだ」
「あの威風、親譲りですな」
年配議員たちの由子への嘆声と、
「静粛に! 静粛に!」
田野津委員長のヒステリックな叫びが交錯する中、由子は証人席で、黙って立っていた。
視線を、閣僚席へと向ける。
(これでいいだろ、親父?)
父と視線がぶつかると、右手を左胸に当てたまま、由子は微笑してみせる。
それに対して、中村総理は、真面目な顔をして頷いた。
「ひっくり返ったなあ……これで、我々国会議員は、大義名分を失ったわけだな」
騒ぎが続く議場で、泰平党の橘国対委員長が苦笑いした。
「そう思いませんか、真田さん?」
そう言って、隣に座っている、民自党の真田国対委員長を見た。
「私の、負けだ……」
真田は、証人席の由子の姿に、視線を合わせたまま、呟いた。
「真田さん?」
「私の、負けだ……私は……私は、一体、何をやっていたんだ?」
「真田さん?」
頭を抱え込んだかつての同級生の肩を、橘は叩いた。
「橘さん……」
呆けた顔で、真田は橘の目を見た。
「私のせいなんですよ」
「え?」
「私の、せいなんですよ……こんなに、騒ぎが大きくなってしまったのは」
「真田さん……」
「私なんですよ。週刊現在の、あの記事の下刷りが送られてきて……それを見た瞬間、もう由子さんはだめだ、と思ったんですよ。それだったら、さっさと引導を渡して、予算を速やかに成立させようと……そう思って、うちにも、おたくにも、火種を撒いて、証人喚問に持っていこう、そこまではよかったんです。ただ、その先が、治まらなかった。コントロールできるはずの火が、私の手を超えてしまった……」
「そうだったんですね」
「……私ね、間違ってたよ」
真田国対委員長は、更に続けた。
「え?」
驚いて、振り向く橘委員長の顔を、微笑して見返すと、真田委員長は、委員長席に目をやった。
「政局を思い通りに動かすのが、政治じゃないね」
「真田さん……」
高校時代の同級生の横顔を、橘国対委員長は見つめた。
「……由子さんを見てたら、若い頃、私が国会議員になった頃を思い出してね。1年生だから、国会対策委員会所属でさ、バリケード作ったり、野次ったり、色々やったなあ。でも、それだけでも、日ノ本が、自分の手で、大きく変わっていく気がしたんだ。この真田が日ノ本を変えてやるんだ、いい国にするんだって、理想に燃えてましたよ。それが、いつからだろう、政局が思い通りになるのが楽しくなって、政局を動かすことだけが目標になって……私、一体、何をやってたんでしょうね。由子さんに怒られて、やっと目が覚めましたよ」
無言で自分を見つめる橘国対委員長の視線に答え、真田国対委員長は、にっこり笑って見せた。
「……成立させましょう、予算案。それが、国民のためですね」
「……ああ、由子さんの言う通り、な」
橘委員長は頷いた。
それを見ると、真田は、手元のメモに、さらさらと何事か書き付け、何食わぬ顔で、閣僚の座る席に向かった。
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